【映画】愛と哀しみのボレロ【バレエ】



数週間前、私がパソコンで作業をしていたときに、BGMが何かほしいな、と思ったときに、ふと、昔見た映画「愛と哀しみのボレロ」の音楽が良かったことを思い出し、Youtubeで動画を探したところ、曲の素晴らしさもさることながら、ダンサーの踊りに雷が落ちたような衝撃を受けました。

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ボレロとは


モーリス・ラヴェル、1928年

モーリス・ラヴェル、1928年

フランスの作曲家モーリス・ラヴェルが1928年に作曲したバレエ音楽。同一のリズムが保持される中で、2種類のメロディーが繰り返されるという特徴的な構成を有しており、現代でもバレエの世界に留まらず、広く愛される音楽の一つである。

作曲の経緯

この曲は、バレエ演者のイダ・ルビンシュタインの依頼により、スペイン人役のためのバレエ曲として制作された。

原義

boleroとはスペインで18世紀末ころにセギディーリャの一種として作り出された3/4拍子を特徴とする舞曲。軽やかな身のこなしからvolar(飛ぶ)という言葉に関連があるという説がある。この舞踊は1780年にスペインの舞踏家S.セレソによって創作され、ギターとタンバリンの伴奏に踊り手が1人または2人組でカスタネットを鳴らしながら複雑なステップを踏む。

イダ・ルビンシュタイン

イダ・ルビンシュタイン、1922年

あらすじ

セビリアのとある酒場。一人の踊り子が、舞台で足慣らしをしている。やがて興が乗ってきて、振りが大きくなってくる。最初はそっぽを向いていた客たちも、次第に踊りに目を向け、最後には一緒に踊り出す。

楽曲

『ボレロ』はラヴェルゆかりのスペインの民族舞踊であるにも関わらず、自筆スコアの研究ではトライアングルとカスタネットが作曲過程で抹消され、逆にE♭クラリネットとソプラノ・サクソフォーンが追加されるなど、そのルビンシュタインの「スペイン人役」という出自に反して民族色が消されている。

初演

べシャール

べシャール、1984年

初演は1928年11月22日にパリ・オペラ座において、イダ・ルビンシュタインのバレエ団(振付:ブロニスラヴァ・ニジンスカ)によって行なわれた。翌年、イダ・ルビンシュタインが持っていた演奏会場における1年間の独占権がなくなると、『ボレロ』は各地のオーケストラによって取り上げられる人気曲となり、世界の一流オーケストラが『ボレロ』の演奏を拒否するだろうと考えていたラヴェルをおおいに驚かせた。

バレエ
モーリス・ベジャールによるバレエの振付。非常に魅力的な曲である『ボレロ』は、初演以来、実に多くの振付家が試みているが、いまだにベジャール作品を凌駕するものはないと言われている。初演は1961年。シルヴィ・ギエムや映画『愛と哀しみのボレロ』の劇中クライマックスで踊ったジョルジュ・ドンの代表作の一つにもなっている。

バレエダンサー

私がボレロの音楽を探しているときに、私の目を釘付けにしたのは、シルヴィ・ギエムのボレロです。手の動きのしなやかさにまず目を奪われ、それから体全体のしなやかさ、強さ、威厳、軽さ、神聖さ、次々でてくる魅力と音楽が相乗効果を生んで、音楽、バレエ、芸術、その世界観の素晴らしさに夢中になりました。

シルヴィ・ギエム(Sylvie Guillem)

シルヴィ・ギエム(Sylvie Guillem, 1965年2月25日 – )は、フランス・パリ生まれのバレエダンサー。 100年に1人の逸材とまで称される現代バレエの女王。

経歴

シルヴィ・ギエム

出典 TheJapanTimes

12歳の時、体操のオリンピック選手からバレエに転向。最年少の19才の時、パリ・オペラ座バレエ団初主演の『白鳥の湖』終演直後に、最高位であるエトワールに直々に任命される。ギエムは多忙を極め、固定のスタジオに彼女が残り、振付師と周りのダンサーだけが入れ替わりたちかわり出入りして一日が過ぎるような状態が続く。
外部からのオファーがあっても受けることの許されない契約と束縛に不満が募り、1988年、パリ・オペラ座バレエ団を電撃退団。フランスでは「国家的損失」とまで言われた。同年イギリスに移り、ロイヤル・バレエ団のゲスト・プリンシパルとして活躍。
パリ・オペラ座時代より積極的にコンテンポラリー・ダンスに取り組む。『白鳥の湖』のオデット/オディール、『ドン・キホーテ』のキトリ、『グラン・パ・クラシック』などのクラシック・バレエ全般はもとより、モーリス・ベジャールの『ボレロ』、『シシィ』、ウィリアム・フォーサイスの『In the Middle, Somewhat Elevated』など多くの代表作を持つ。
2015年、引退を表明。世界各地のファイナルツアーの締めくくりとして大晦日の年越しカウントダウンで最後の『ボレロ』を舞った。

人物
シルヴィ・ギエム

フランスを離れた直後は、歯に衣着せぬものの言い方が目立ち、インタビューなどの取材や写真撮影を嫌い、20代の間は出版物や情報が他のバレエダンサーにくらべて格段に少なかった。そのため「マドモワゼル・ノン」というあだ名がついた。家族や兄弟について話すことも稀だが、スペイン人とのハーフだということはインタビューで答えている。
無駄で不自然なジェスチャーやわざとらしい演技を排除し、演技法について当時ロイヤル・バレエ団の首席振付家と衝突があった。過度に飾られた衣装を嫌い、移籍当時のロイヤル・バレエ団のダンサー達より肌を露出した衣装で踊り反感を買うこともあった。イギリスのバレエファンからは、脚を耳に触れるほど上げてそのままピタリと止める「6時のポーズ」と呼ばれる人間離れした踊り方から性格に及ぶまで賛否両論があったが、近年は彼女の実力については誰もが認めるところである。
16才のときに日本を訪れてから、毎年のように日本を訪れる日本好きとして知られている。2011年には、被災地を励ますため、来日公演でボレロを踊った。

ジョルジュ・ドン(Jorge Itovich Donn)

ジョルジュ・ドン(Jorge Itovich Donn, 1947年2月25日 – 1992年11月30日)はアルゼンチン出身のバレエダンサー。

経歴

ジョルジュ・ドン

出典 pinterest

ブエノスアイレスのロシア移民の家庭に生まれる。5歳でバレエ学校に入校。1963年、アルゼンチンを巡業していたベジャール主宰の20世紀バレエ団公演を見て渡仏を決意し、入団から数年を経ずしてソリストとなった。
1966年、『ロミオとジュリエット』 で生き生きとしたロミオ役を演じて評判を呼ぶ。その後も 『火の鳥』、『ディオニソス』 など数多くのベジャール振付作品で初演を踊ったが、代表作はなんといっても 『ボレロ』(1979年)であり、男性舞踊手として初めてメロディを踊った。1981年にはC・ルルーシュ監督の映画 『愛と哀しみのボレロ』 に出演、一躍バレエ・ファン以外にも名を知られるようになった。
1980年に同バレエ団の芸術監督の地位につき、さらに1988年には自身が主宰するヨーロッパ・バレエ団を旗揚げするが、エイズに侵され、1992年に死去した。45歳没。

ボレロ

ボレロといえば、ジョルジュ・ドンですが、シルヴィ・ギエムのボレロで衝撃を受けた私は、同じくYoutubeにある1982年のジョルジュのボレロをみてもシルヴィほどの衝撃や感動はありませんでした。そうは言っても、なんとなく何度も動画を見てしまっている自分がいました。その理由を探求してみて分かったことは、ジョルジュが表現する、女性的な優しさ、そして空っぽさに魅力を感じているということです。そこで舞っているいるのは、ジョルジュではなく、ボレロを表現者する人。それからは彼への見方が変わりました。

彼の魅力が分かってきだした頃、映画「愛と哀しみのボレロ」のワンシーンの動画を見ました。昔映画で見たはずなんですが、、、さきほど紹介したジョルジュが全く違う。若くて、力強くて、自由で、、、何も考えられないぐらいの迫力でした。ただ、彼を目で追っていました。彼の偉大さ、バレエの素晴らしさが炸裂しています。

愛と哀しみのボレロ

フランス映画界きっての映像詩人クロード・ルルーシュが制作・脚本・監督を兼任し、持てる力をすべて注いだ自らのキャリア=人生の「総決算」的歴史大作。
モスクワ、パリ、ベルリン、ニューヨーク。四か国四都市に暮らす四つのショウビジネス一家が、第二次世界大戦の悲劇を乗り越えて戦後の荒波を生き抜き、現代のパリで合流するまでを、ルルーシュは台詞に頼ることを極力避けながら、映像と音楽の力で見事に描き切った。

ルドルフ・ヌレエフ、エディット・ピアフ、ヘルベルト・フォン・カラヤン、グレン・ミラーといった実在のアーティストをモデルとした登場人物たちが交錯する、虚実織り混ぜた波乱万丈の物語を彩るのは、フランス、ポーランド、アメリカを代表する新旧の実力派俳優、ダンサー、ミュージシャンたち。

エッフェル塔を臨むトロカデロ広場で、この時期、技術、身体ともに絶頂期を迎えていたジョルジュ・ドンがラヴェルの“ボレロ”のリズムとメロディに合わせて披露するダンス(振り付けはベジャール)は、映画史上に残る圧巻のクライマックスを形成する。
フランスでは公開時に300万人を超える観客を動員、大ヒットを記録した。

映画予告編

まとめ

バレエやダンスを全く見ない私ですが、このボレロは何回も見てしまいます。恐らく、振り付けも音楽も、その枠を超越して素晴らしい芸術作品として完成されているからでしょうか。今回ご紹介した2人のダンサーは、引退されていたり、お亡くなりになっているので、リアルタイムで活躍を見れなかったことが残念です。それでも、彼らの作品に出会えてよかったです。芸術って人生を豊かにしてくれますね。本物は時代を超えて残って、そして伝えられていくんだな、と思いました。